qido2005-06-25

http://d.hatena.ne.jp/qido/20050602
もう、気にしてる人もいないと思いますけど、↑で書いたコレなんですけどね、あのね、先が全く思いつかないのね。途方にくれてるの端的に言うと。いけない癖がまたでちゃった。なんも考えないで書いちゃうアレね。プロットだけ置いとくので、行間を埋めてください。想像力こそ人間を人間足らしめるパワーなんです!

  • 野宮槙尾と小西靖代は、かくして曲がり角でぶつかることとなる。
  • 野宮槙尾の高校に今日転校生が、とのこと。
  • 西靖代のことでした!
  • なんやかんやで、気になる存在同士になる二人。
  • しかし小西靖代には隠し事があった。
  • 彼女の手首にいつも着けられているリストバンド。
  • その下には躊躇いがちにカミソリを弾くようにつけられた平行して走る五本の傷口。
  • ピチカート・ファイヴ
  • 彼女が転校してきた理由は前の学校でイジメにあっていたからだった。
  • その秘密を知った野宮槙尾。
  • 同じイジメという負と負の力で急速に惹かれあう二人。
  • 二人が向かう先はビジネスホテル。
  • 後日、ビジネスホテルには開封して間もないコンドームと一組のカップルの安らかな寝顔と練炭がありましたとさ。

意味が分からない!なんだこれ!キド先生の次回作にご期待しないで下さい!
タイガー&ドラゴン見た!泣いた!西田敏行鶴瓶が泣きじゃくるとこで俺も泣いた!全話面白かったけれども、一個指摘するなら、何話か忘れたけども西田敏行が歌謡ショーをして場を繋ぐというところで「もしもピアノが弾けたなら」を歌わなかったことだけが悔やまれる。
▼最近、Sトウくん*1に貸してもらった漫画を自分で買いなおしている。具体的に言うと「少年少女」と「おひっこし」。あー、もうね、こういうサブカラー気味の漫画を、今日みたいに熱ちぃー地球を冷ましたくなるような日にですね、ねんごろになったジョカノとキンキンに冷房の効いた部屋でダラーっとしながら、読みたいわけですよ麦茶飲み飲みね。そんで、「おひっこし」読み終わったあたりにジョカノが唐突に言うわけですよ。「多摩動物園いこっか?」なんて。んで、バイクにニけつしてさ、グワーって青梅通りを横切って、八王子方面に行くわけ。それで「あー、これが漫画に出てきた『野猿』かあ」なんて思いながら背中に彼女の存在を確かめるわけですよね。で、動物園でさ、適当に動物見てアイス食って猿とにらめっこしたり、「キミに聞かせたい音がある」なんて思って着ウタダウンロードしたり、それをゼンハイザーのヘッドフォンで一緒に聞いたり、俺が妻ウェポン聡でジョカノが俺で、地球は二人を中心に回ってる説を提唱、エントロピー増大の法則…!!と、ここで熱射病になって、目が覚めたら木陰でジョカノの膝の上に頭があるわけですよね。はああああああ。なんちゅう幸せな、幸せそうな休日なんだろう!そして、何故俺は独り、キーボードなんて叩いているのだろう!さっさと終われアタシの青春!!!!!!!!1111111
竹易てあし漫画全集 おひっこし (アフタヌーンKC) 少年少女 (4巻) (Beam comix)
▼アマゾンからお荷物が届く。否。買い物をしたのだ。俺はその感覚を忘れてはならない。金を払ったのだ。これぞ資本主義。そういう話がしたいんじゃない。届いたのはTAICHI MASTER『DISCONNECTION』Miles Davis『On The Corner』『CV創刊準備号』の三点。まずはTAICHI MASTERであるがこれはRhymester宇多丸ケツメイシRYOJIによる「あ・い・ど・る」の一曲につきる。が、俺はこの曲に描かれているアイドルオタクとは違うなあと思った。「キミを見てるだけしかできないけど、見てるだけで伝わるよ」という歌詞で始まるこの歌に描かれているのはグッズを買い漁るパラサイトシングルなアイオタである。というのは別にいいのだが、ここに描かれているアイオタと自分の違和感として、俺はアイドルにおけるビジュアルというものがあまり重要視されないんだなあと思った。だって俺、見ないもん別に。聴くオンリー。「キミの声を聴くだけしかできないけど、聴いてるだけで伝わるよ」と言ったところか。余計にヤバいですね。今も広末涼子を聴いています。Summer Sunset。名曲すぎる。次。エレクトリックマイルス期の名盤中の名盤と「いわれている」オンザコーナー。ミュージックマガジンの500枚に選ばれた際、この盤についていた解説に唐突にDCPRG批判が行われたという笑えるエピソードある本盤ですが、別に「今」聴くと「普通に」かっこいいじゃないっすか。全然「分からない」感覚なんてないよ。とてもいいよ。何かを評する時に作品が発表されたその当時に遡って「これがエポックメイキングとなったのだ!」なんて言う事に僕は何の価値も見出せない。「今」面白く無いとダメなんだよ。もし「今」面白くないと感じたのなら、面白くないでいいし、「今」面白くないと感じることと絶賛されていることとの間の違和感について評することに価値はあると思う。次、CV創刊準備号。北尾編集長の雑誌ですね。鶴見済の文章が読めること自体ありがたいのだが、やはり、ここは赤田祐一の『WET』についてボクの知ってるニ、三の事柄という原稿について触れておこう。最近、僕が何に苛立っているのか。それがハッキリした。結局、前の評するということにも関連してくるが、ここらで伝承的に語られる80年前後のニューウェイブ雑誌の凄さというものを、僕自身がその雑誌を直接手にとって確かめられる状況に無いということに苛立っているのだ。いや、直接じゃなくてもいいんだ。ネット上でもいいが、それらに纏わる、回顧的な記録ではない、アーカイヴの不在。もっと言うなら、資料性のあるサイトがWEBの中で端っこに追いやられているのではないかという危惧感。それが僕をイラつかせていたんだと思った。途端、何か憑き物が落ちたようにどうでも良くなった。自分がやるまでのことだ。ブログやSBSの脅迫的消費衝動からの脱却。何かまたページを始めるかもしれません。
と、書いたが、今の自分には「知識」が完璧に無い。アーカイヴさせる程の知識も技術も無い。ああ、この不全感を埋めるにはやはりまだまだ学ぶ必要があるなあ。はあああ。
DISCO-NNECTION ON THE CORNER CV (創刊準備号)