Kraftwerk『Computer Love』 VS ColdplayTalk』- Kraftplay
http://www.m-1.us/RIAA_-_Kraftplay__Kraftwerk_vs_Coldplay_.mp3
ユリイカ別冊からdemiさんの文章を引用。

ここでいう文化系青年とは、労働でも勉学でもスポーツでもなく、文化愛好を男性性の根拠とする男性たちのことである。もちろん多くの文化愛好者はこのような心情とは無縁だろうが、少なくともオタク、またはサブカルであるという自意識のもとに他の文化トライブ(あるいは世代)を攻撃してみせる心性は男性性への固着に基づくものであるというのが本稿の趣旨である。

オタクまたはサブカルであるという自意識から他の文化トライブを攻撃してみせる人達の、そのような攻撃性へと向かわせる心情の発生原理を知りたかったのだが、そこがやっぱわかんないんだよなあ。攻撃する必要がまずないのになあ。自分にない考え方に触れるのってすげえわくわくすんのになあ俺は。みんななかよく!というか、許容っっていうか、そーいうのも俺と考え方は違うけどアリだよねみたいな考え方はないのかなあ。とかつらつら考えてたら、そういう考え方があまりないからこそ小規模の似た嗜好・思考の人達のコミュニティが分断された状態で偏在して緩く繋がっていられるのかなあとか思った。ネットと現実どっちも。そして、僕のような考え方だと友達が少ないんだと思った!「ぶっちゃけ」感(俺もあいつ嫌いだった!とか負とか陰口とかで繋がる感じ)が演出できないから!許容の先にあるのは無関心!という結論。つまり俺はこの別冊ユリイカに、もっと言えばすべての事柄に深い洞察は得られない体質なのかもしれない!やばい!もっと感じていかないと!多感こそ!思い出こそ!大事!とか無理矢理思っていこう!早々と諦念した感覚を取り戻していきたい!