ブームの話をした。結論としては「流行ってはいけないが、流行ることがまず重要だ」ということに落ち着いた。矛盾しているようだが、これは真理だなと思う。メイド喫茶が冷笑される空気感に最早なってきていて(今日の有線大賞に、ヨドバシ秋葉の前にメイドを四人並べて「今年はオタク文化が流行りましたね〜」と言っているベッキーを見て確信した)、落ち込むことは必至だがしかし、その落ち込みを経て定着するかどうかの川島なおみにおけるワインぎゃははみたいな話をしていた。その途中で「モーニング娘とかさ、ね」と半ば憐憫さも含みつつ話題に挙がった彼女らに涙が出そうになる。もう彼女らはこんな程度の認識なのだ。とてもかなしい。おれはモーニング娘という存在全体が好きなんだと確認させられた。フットサルなんて今すぐやめろ。おれは彼女らのド素がみたいんだ。楽屋がみたいんだ。ステージ裏がみたいんだ。それらから汲み取れる情報から妄想する人々の異形さがみたいんだ。フットサルないしスポーツというものに対応する健全性なんて求めていない。もう一度言う。フットサルなんて今すぐやめろ。気持ち悪い文章だ。話を変えよう。スパンクハッピーを聞いている。やはり第二期は素晴らしい。スパンクスを聞いている時の自分は精神的によろしくないとわかっているのだが、どうせならと何回目になるかわからないが「スパンクスを聴きながらスパンクス特集のクイックジャパンを読む」を遂行。やはり第二期は素晴らしい。このクイックジャパンの発刊された2001年にこのデュオに傾倒できなかったことがもうとても悔しい。とても、とても残念なことに僕は「夜の政治と経済」も「ボンジュール・アデュー」も「新生スパンクハッピーのテーマ」も「カカオと私」も「ワールドハローソング」も「コポロラリア」も聴いたことがない。対象の喪失・永久的不全感から来る、対象への愛着の美化された再認識。それは「悲しい朗報」だ。ハンターハンターを読んだ。これがジャンプという少年誌でやっている事実だけでもジャンプはすごいのではないかとジャンプに対する認識を新たにした。キスがしたいです。